東京高等裁判所 昭和41年(う)558号 判決 1966年6月28日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
所論は先ず、原判決には証拠能力のないものを証拠として事実を認定した違法があるといい、原判決は「メモ帳」及び「メモ」<証拠略>を証拠として被告人に対する罪となるべき事実の認定をしているが、これらの証拠物はいずれも違法な捜索、押収手続によつて蒐集されたものであつて元来証拠能力を欠くものであり、弁護人としても原審における証拠調の当初からその取調に異議を申立てて来たのであるから、これを罪証に供してはならない筈である。ところが原判決は右異議を斥け、右証拠物はいずれも適法な現行犯逮捕に伴う捜索、押収手続により蒐集されたものであるが故に証拠能力があるとして説明をしているが、原判決の見解は現行犯要件の法律解釈において、また、現行犯要件該当事実の認定において、それぞれ甚だしい過誤を犯しており、正当ではないといわなければならない、先ず(1)原判決の現行犯要件に関する法解釈は立法趣旨を逸脱し広きに過ぎ不当である。刑事訴訟法が現行犯の場合においては「何人でも逮捕状なくして逮捕することができる」ものとしている所以は、現行犯人とは「現に」罪を行いまたは現に罪を行い終つた者を指称するものであり、犯人の外部に現われた挙動、ないしは状態そのものから直ちに犯罪の存在及び犯人が何人であるかが一般私人の眼にも明白であるがためである、換言すれば、犯人の外部に現われた挙動ないしは状態そのものから、犯罪の存在及び犯人の何人であるかが、犯罪取調べの特殊技能者の眼から十分看取し得るという程度では、まだ現行犯人逮捕要件を充足するものとはいえないのであり、そのことが一般私人の眼から見ても明白に看取され得る状況下にあつてはじめて現行犯人に該当するものといい得るのである。しかるに、原判決は、警察官が内偵の結果知り得たと称する主観的判断と、警察官の職務質問に答えた綾部義雄の「呑み行為の申込をして来た」旨の供述のみを資料として、呑み行為の現行犯が行われていることが明白であるとするが、それは警察官の眼には明白であつたという程度に過ぎず、一般私人に逮捕することを許容する現行犯の場合に該当するものとは認めることができない。原判決の見解は、犯罪の検挙、取締を簡易に行わせたいために、基本的人権に関する憲法上の保障(第三十三条)を犠牲に供しようとするものであり、本末顛倒の不当な見解であるといわなければならない。また、(2)原判決の被告人に関する現行犯要件該当事実の認定には、重大な事実誤認がある。原判決は警察官が「高橋、大矢も共謀でやつているものと認めて同人らをも現行犯として逮捕したものであることは(警察官の証言によつて)明らかである」と認定するだけで、逮捕時における被告人を目して積極的に「現に罪を行い」または「現に罪を行い終つた者」と認定するものではなく、原判決の表現は些か明確を欠くが、その趣旨は、警察官が被告人を共謀共犯者であると認めて逮捕したものである以上、現行犯逮捕として取り扱うべきであり、違法とはいえないということになり、ひつきよう、被告人が塚田彰兵の共謀共犯者であるかどうかの決定は、逮捕時における警察官の認定に委ねられるべきものとするに帰着する。しかしながら、それは現行犯逮捕の適否の決定を、実質的には警察官の主観的認定にかからしめる結果を招き、到底正当な見解ということはできないという趣旨の主張をし、これらの点について種々の見解を披瀝し、要するに、被告人高橋の逮捕を可能にする現行犯要件該当事実に関し、原判決は重大な事実誤認を犯したために、不当にも違法な逮捕を違法ではないと断じていると主張しているのである。
よつて先ず、右(1)について按ずるに、原判決の現行犯逮捕に関する見解は概ね妥当であるというべく、すなわち、現行犯について常人逮捕が許される所為は、一般的にいえば、何人が見ても犯罪実行中であることが明瞭であることによるものであるけれども、競馬における呑み行為や又は賭博行為の如く隠密のうちに行われる犯罪の場合においては、事情の内偵、張り込み等によつて得た客観的資料に基づく知識を有しない通常人には現行犯であるということは認知できない場合であつても、警察官はそれらの資料に基づく知識によつて容易に現行犯の存在を認知し得る場合があるということを理解すべきであり、このような場合に同様資料を警察官でない通常人に供給すれば、その者は直ちに現行犯逮捕の要件があるということを認知し得る場合が多々存するというべきである。これを本件について観るに、警察官がかねて内偵の結果得た知識(資料)、当日(九月二十三日)被告人の近隣に張り込んで被告人らの動静を看視して得た知識、綾部義雄を職務質問をし、次いで現行犯として逮捕したことから得た知識(綾部が被告人高橋方に出入し、呑み行為の申込をして来たことを自認し、且つ競馬新聞や申込のメモを所持していたこと)を、警察官でない通常人に供給したら、その者は少くとも高橋方には綾部の相手方となつて現に呑み行為の申込を受け又は受け終つた者が現在するということを認知し得た筈であり、従つてその者に対し現行犯人逮捕の要件があることを理解し得たであろうと考えるべきである。但し、この場合において、通常人である限り綾部を職務質問をすることや、高橋方居宅に立入り又は逮捕現場で差押検証等をする権限はなく、警察官はこれらの権限を法律上賦与されているという点が異るわけであるが、職務質問やその他法律上許容された捜査活動により犯人を逮捕する知識を獲得することは、正に警察官の役目であるから、そのような活動によつて得た知識を活用して犯人を逮捕するということも、固より当然の捜査活動であるといわなければならない、果して然らば以上の見解に副うものと認むべき原判決の見解は相当であつて、原判決には現行犯の解釈につき立法趣旨を逸脱した違法があると称すべきではない。次に、右(2)についてであるが、証拠によれば、本件における被告人高橋の逮捕に至る経緯は左のとおりであると認められる。すなわち、<証拠略>を綜合すると、警察当局はかねてから、被告人高橋方で競馬の呑み行為が行われていることを疑い、検挙すべく内偵をしていたが、昭和三十九年九月二十三日に張り込み中、前から高橋方へ呑み行為の申込のため出入しているものと認められていた飲食店の店員綾部が出前でもないのに高橋方に出入したのを認め、午後二時頃綾部が競馬新聞をもつて高橋方に入つたのを見とどけ、その帰路を待ち、高橋方から約二百米位の場所で職務質問をしたところ、同人は競馬新聞、呑み行為申込のメモに番号を記入してあるものを所持しており、且つ呑み行為の申込をして来たことを認めたので、同人を現行犯人として逮捕した。一方、右綾部が呑み行為の申込をしたことを認めた場合は高橋方で呑み行為の現行犯が行われているわけであるから、直ちに踏込んで犯人を逮捕する手筈を整えあらかじめ被告人方附近に待機していた警察官は、綾部の逮捕の連絡を受け、殆んど同時に高橋方に踏込んだところ、同家二階奥三畳間で塚田彰兵が現に首藤省三から呑み行為の申込みを受けているのを現認したので、直ちに塚田を現行犯人として逮捕し、そのとき被告人高橋は右三畳間に接続する台所に下着姿でいたが更に警察官は台所に接続する応接室に、被告人高橋の着物が脱いであり、テーブルの上には呑み行為のメモ、競馬新聞、万年筆、高橋の財布、眼鏡等が置かれてあつたのを現認した。なお、これより先同日警官らは高橋方の近隣の家から高橋方を監視中大矢和彦が呑み行為のメモらしきものを応接室の高橋の所に持つていつて示しているのを現認したので、以上により被告人高橋も塚田と共謀して呑み行為を行つているものと認めて、現行犯逮捕に及んだものである。果して然らば、本件において被告人高橋が現行犯人として現認され逮捕されたことについては違法と認むべき点はなく、従つて逮捕に伴い施行された捜索、押収の手続も敢て違法視すべきではないわけである。而して、原判決の以上の点に関する説明には言辞が簡略に過ぎ不十分な箇処も存するが、その趣旨は当裁判所のそれと異るものではなくその結論においても同断であると認むべく、要するに、警察官が被告人高橋を現行犯人と認めて逮捕したことは誤認ではなく正当であるから、これに反する所論は理由がないというべきである。所論は前記のとおり、原判決は被告人が塚田の共謀共犯者であるかどうかの認定を、逮捕時における警察官の単なる認定にまかすべきものとの見解をとつたのは不当であると抗争するのであるが、原判決は警察官が漫然と高橋を共謀に基づく共犯者であると考えただけで逮捕したものと判断したわけでもなく、また、そのように考えただけで逮捕することを是認したものでもないというべきであり、原判決も矢張り当審の前示認定の如き事実関係に基づき被告人高橋を現行犯であると認めた警察官の判断を是認したものと認むべきである。その他所論中には、大矢がメモらしいものを持つていて高橋に示したのを外部から望見し得る筈がないとか、警察官が撮影した現場の写真はありのままを撮影したものでなく作為がある、警察官の証言は偽証である等の主張もしているが、証拠上被告人方二階の応接室内における被告人高橋の挙動を望見することは全然不可能であると断じ難く、その他の点については、所論を認むべき根拠がないというべきである。これを要するに、本件現行犯逮捕手続、従つてこれに伴う押収手続は違法とはいい難く、右押収手続により蒐集した所論「メモ帳」「メモ」を罪証に供した原判決は違法ではないといわなければならない。<後略>(久永正勝 井波七郎 宮後誠一)